『助け主としての聖霊』      ヨハネ14:15〜31

 今日のテキストは、受難週の木曜日の記事ですから、主イエスにとって非常に緊迫した状況にありました。今日の記事には、聖霊を送るという主の約束が書かれています。また2度も、「助け主」とあります(16,26)。今日は「助け主としての聖霊」というタイトルで、この聖霊はどのような働きをされるかについて見てみましょう。

T.共におられる聖霊
 主イエスは、間もなく昇天して神の右に座するので、父なる神にお願いし、助け主である聖霊を送り、その聖霊なる神が「いつまでもあなたがたと共に」おらせると約束されました(16)。主イエスがガリラヤにおられたら、同じ時間にエルサレムに姿を現すことは出来ません。しかし聖霊なる神は偏在ですから、どこにでもおられます。ですから、私たちが束になって願い事をしたとしても、「ただ今、混み合っています」というようなことはありません。またこの助け主としての聖霊によって、「あなたがたを捨てて孤児とはしない」(18)とも約束します。なぜなら、この聖霊は私たちと共におられるからです。私たちは時に、孤独を感じたり、自分の居場所がなかったり、疎外感を味わったりすることがあります。しかし、助け主としての聖霊が共におられるので、このお方に全ての思いを明け渡し、このお方から力を頂いて歩みたいと思います。

U.御言を想起させる聖霊
 助け主としての聖霊は、「あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させ」ます(26)。ここに2つの聖霊の働きが書かれています。その1つは、聖霊はすべてのことを教えます。聖霊が教えるので、私たちは聖霊から、聖書や救いや信仰について学ぶのです。このような学びを通してでしか、信仰の成長は望めません。しかし、この地道な学びを助け、信仰の成長を与えるのが聖霊なる神です。
 もう1つの助け主としての聖霊の働きは、「わたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させ」ることです。主イエスは、3年数ヶ月かけて弟子たちに、従うこと、福音宣教に生きることなどについて教えてきましたが、全ての弟子たちから裏切られました。主は、一体、何を教えてこられたのでしょう。けれどもそれらの教えが無駄にならないように、聖霊が主の語られたことを想起させるのです。聖霊は思いの外、私たちに教え、語られるお方です。聖書や祈り、説教を通して悔い改めに導かれたり、時に、仕事中に、通勤中に、家事の最中に、御心を示されるのは聖霊の働きです。このような時、素直に従うことが祝福の始まりです。

 今日は「助け主としての聖霊」というタイトルでしたが、聖霊は私たちと共におられるので、いかなる時にも孤独に陥らせることはありません。また聖霊は学びを助けて信仰を高め、あらゆる場面において、御言を想起させ、御心を示されるお方です。その御心に従って歩みましょう。

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